独島の近海には多量の天然ガス層が埋蔵されていると推定されており、独島の周辺海域には東海岸でも数えられるほどの天恵の黄金漁場があります。イカ・スケトウダラ・サンマ・マス・サケ・マダラなどの海産物が豊富です。
独島は、将軍の異斯夫(イ・サブ)が送られ于山国(鬱陵島)を占領した新羅時代からずっと大韓民国の土地でした。その後も『世宗実録』地理誌(1454)には武陵島(鬱陵島)と于山島(独島)と呼んで独島が歴史に登場したし、『高麗史』地理誌(1451)や『新増東国輿地勝覧』(1530)、『東国文献備考』(1770)等の書籍にも独島の昔の地名である于山島がずっと載っていることからみても、独島が韓国の領土として見なされていたことが分かります。 1900年代に入り日本によって我が国, 韓国の主権を奪われる過程で、独島は強制的に日本の領土に含まれることになりました。第二次世界大戦終了後、独島は当然韓国の領土にもかかわらず、日本政府は独島が日本の領土であると主張して紛争を起こしています。独島は単なる小さい島ではなく、我が国の歴史と独立を象徴しているといえます。私たちは独島の歴史を正しく知り、独島を守るために絶えず関心を向けなければならないでしょう。独島は大韓民国の領土であり、慶尚北道の土地です!
朝鮮王朝・粛宗(1661~1720)の時代に安龍福の日本連行(1693)に端を発し朝鮮と日本の交渉結果、日本幕府(政府)は日本人による鬱陵島渡航禁止令(1696)を発表し、両国間の独島所属問題を終わらせました。また明治時代に入り当時日本の最高国家機関だった太政官では島根県の地籍編纂と関連して内務省の建議を受け、竹島外一島は本国と関係ないという指令を下しました(1877)。このことは要するに、鬱陵島と独島は日本とは関係ないことになります。このような歴史的事件は、日本国内でも独島が日本の領土でなかったことを明かす明白な証拠です。
1945年第2次世界大戦の終戦とともに、日本は「暴力と貪欲によって略取したすべての地域から追放されなければならない」というカイロ宣言(1943)により、韓国の固有領土である独島は当然、大韓民国領土になりました。また、連合国の戦時占領統治時期にもSCAPIN第677号により独島は日本の統治および行政範囲から除外されたのであり、サンフランシスコ講和条約(1951)はこのような事項を再確認しました。 以後、私たちは現在まで独島を実効的に占有しています。このような事実に照らしてみると、独島に対する歴史的、地理的、国際法的に確立された韓国の領有権は、現在に至るまで中断なく続いています。
東南の方に位置した東島には誘引灯台をはじめ多くの海洋水産施設が設置されており、高さ98.6m、面積73,297㎡で、長軸は北北東の方に約450mにかけて60°の傾斜で伸びていて、中央には円形状態で海水面まで落ち込んだ垂直ホールが特徴です
西北の方に位置した西島は高さ168m、周囲2.6km、面積88,740㎡、長軸は南北の方に約450m、東西の方に約300mほど伸びています。西島の頂上部は険しい円錘形で、主要施設物として漁民宿舎があります。
独島について詳しくは、慶尚北道ホームページ・サイバー独島 http://www.dokdo.go.krをご覧ください。